2009-05-16

実は地方紙が面白いのではないか?

ここ暫く、地方紙ウォッチしようかなと。
そのきっかけは、これです。

今日は土曜日で、午後は休み。
自宅に帰って、地方紙を読んでいたら、この写真が載ってたわけです。
キャプションは、
真剣な表情作品制作に取り組む児童」
よおく写真を見て欲しいのですが、どう見てもこの児童、可成り疲れているようで、とても真剣な表情には見えない。
それ以前に、「作品」の「製作」に携わってる態度には、とても見えない。
絵じゃなくて、あっちの方を見てる。
何だか、すごく投げやりに見えちゃう。
絵がへたくそなのに、いやいや郊外に来て絵を描かされ、つまんなくて、ぼーっとしている雰囲気濃厚であります。

--------以下想像--------
想像するに、シャシン撮られちゃった彼はこう思っているわけです。
「あー、早く帰って饂飩食って遊びてえなあ。暑いし、嫌だし、くそったれめ」

その一瞬を活写し、無理矢理「真剣な表情で作品の制作に取り組む児童」などというキャプションを付ける記者も凄い。
実は、記者たる彼(或いは彼女)は、とってもとっても沢山写真を撮ったんだけど、この写真が一番良く撮れてたのでしょうね。
他の写真はぶれてたり、被写体が小さくて使えなかったりで、素材としてはこれが一番だった。
彼(或いは彼女)も、実は被写体たる彼を見ながら「こいつ、やる気ねえなあ」と思いつつ、使えるのがこれだけだったので、まあしかたなく無理矢理かっこいいキャプションをつけて、新聞に載っけたわけです。
--------想像ここまで--------

で、なぜこんな現象が起こるのか?
地方紙では「やる気のない地元民」は、存在しない事になってます。
そういうお約束なのです。
だからなの。
地元民や地元行政は常に前向きで、問題解決能力があり、みんな篦棒に民主的で思いやりがあり、ボランラリー精神に満ちあふれ、全部ハッピーだぜ状態です。
地元行政にさからったら、すげえまずい事になる地方紙の世界ではな(*1)。
結果、この場合、被写体自身は「かったりー」(*2)と思ってるのに、「地元民にやる気のない人はなし」という地元紙原則に基づき、彼は「真剣な表情で制作」している状態になってしまい、そのギャップが失笑を招くわけです。

この法則で地方紙を見ると、実に面白い。
暫く続けてみよう。
やり方としては、
「地方紙に目を通し、面白そうな(つまり、自分の意識とギャップの大きい)記事を見つけたら、その紙面をシャシンで記録し(*3)、それを、まあ、なんというか、こき下ろす」
というスタンスでいきたい。

著作権法的に、可成りヤバいかもしれないなあ。

(*1)
睨まれたら、おまんまの食い上げだしな。
解るよ。
俺も上司には逆らわないもんね。
逆に、国政レベルでは、全国紙(つまりY紙やA紙)よりも遥かにマトモな事を書きますよね。
地方行政に対してもマトモな記事書けばいいのに。

(*2)
古すぎる言葉ですかね。
そうだったら、一応反省するけど、多分俺は懲りないだろうな。

(*3)
どっかのニュースサイトから直でリンクを貼って、その記事をあーだこーだとひねくり回すのは、個人的にはすげえカッコわりいと思います。
そーゆーことやってるお前ら、大人だったら、紙に印刷された活字くらい読めよな。

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